5月1日(火)
一日の居場所も季節によって変わるが、
特定の時間帯の居場所も変わる。
目下、人間の入浴中はここ
* * * *
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5月2日(水)
昨日は何度もねずみしよう、と言いに来た。
私がテーブルで本を読んでいる時、
また私の太ももに手をかけ、ね〜、と言った。
本から目を離せなかった私は、いらいらして、
今、だめって言ってるでしょ!と声を荒げてしまった。
するとコチカは、ぁ、という感じで身体を引き、
しばらくぼんやりとその場に座ったままでいた。
私は滅多にそんな言い方をしないので、
こりゃ見込みなし、とすっかり失望したようだった。
その後ご飯の前に誘ってやり、ちょっと遊んだが、
なんとなくすぐにやめてしまった。
その夜。
帰宅した夫に、いつものようによしよしして〜、
と足元で訴えていたが、夫は私と話していて、応じなかった。
普通はもっとしつこく言い募るのに、
コチカはすぐにだまって、籐椅子に戻ってしまった。
人間に背を向けたままじっとしている。
その背中が気になったが、
その後丸くなって寝てしまった小さな身体が、
アンハッピーな空気を漂わせている。
人間が寝室に入った後も、
うんと遅れて入ってきて、いつものように声をかけてきたが、
うぉ〜、とテンションの低い声。
今日もまだその名残を引きずっているコチカ。
なんとかせねば。
日に何度も遊びたいコチカと、
うまく折り合いをつけられるよう、考えないといけない。
彼が不満を持っていたり、ストレスを感じているようだと、
私まで落ち着かなくなってしまう。
決まった時間、というのを設けることができればいいのだけど。。
* * * *
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5月3日(木・祝)
夕方、コチカが膝の上にくつろぎに来る時刻。
夫と二人で瞑想をした。
籐椅子から降りてきたコチカは、
床に座った夫の印を結んだ手に鼻を近づけ、くんくんとしてみた。
なんだ、夫じゃん、と思ったものの、
自分が近づいても動かないので、異様に思ったか、
ふにゃ〜、と小さな声を上げた。
私がちゃちゃ、と呼び寄せると、
コチカは膝の上に乗ってきた。
目をしっかり見て、「瞑想」してるんだよ、と言ってみた。
ちょっと考えるような顔をしてから、
ようわからん、と前を向いてしまったコチカだが、
次回からはこうして人間二人が静かに座って動かなくなったら、
瞑想している、と思うだろうか。
コチカ、迷走じゃないよ、瞑想だからね〜
* * * *
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5月4日(金)〜5月6日(日)
<縦型爪とぎ設置>
コチカがねずみで遊びたがる理由の一つに、
コーンを巻いたスツールのそばを這う紐と遊びがてら、
スツールのコーンで爪が砥げるからである。
あわよくば爪とぎ、と思うコチカは賢いが、
取りも直さず、普段思う存分爪とぎができてない、
ということらしいことに、人間は気づかされた。
以前は、立って爪をといでいたので、縦方向の方が好きらしいのだが、
今のキャット・タワーの爪とぎ部分が短すぎるのだ。
これ、メジャーなキャット・タワーだが、
よそのお宅のネコはこれで満足しているのだろうか。
コチカが不自由そうだと、人間も気分が窮屈になってくる。
一日一回のネズミ遊びだけでは足らないだろう、
とわかっていて放っておけなくなってきた。
なんとか縦型爪とぎを、
ということで、連休中に爪とぎを設置した。
前の家で天国および物見櫓(懐かし〜)に登るために使っていた、
坂道用の切り売りカーペットを張り付けた板を切り、
キャット・タワーの2段目にちょうつがいで固定した。
新しいものには警戒してすぐに手を出さないだろうことを予測して、
夫がマタタビの粉を振りかけた。
早速近づいてきて、クンクンしたコチカだが、
カメラを構えたら、すぐに知らんふりをし、嗅ぐのをやめた。
ち。
前の家。
坂道を登り、天国(三角コーナー)でくつろぐコチカ
(2006年2月)
マタタビを嗅いでラリッてるところ
* * * *
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5月8日(火)
数回、新しい爪とぎで爪をといでみた。
でもなぜか定着していない。
今後に期待しよう。
ネズミ遊びと並ぶ喜び、よしよしタイム。
夢心地で手を舐めるコチカ。
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5月10日(木)
コチカも年を取って、
体感というより、むしろ習慣により執着するようになったのだろうか。
夜も差して寒くもないのに、脇の下に入ってくる。
もっとも寝入りばなだけだけれど、こんなことは一昨年くらいまではなかったと思うが。。
私は今のところはいつでも大歓迎だけど。
* * * *
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5月13日(日)
<オシッコ拒否>
夜、オシッコをさせなかった。
夫がおてぃっことぅーるよ、といつものように言って抱き上げても、
視線がちょこっと上を向いただけで、身体が硬くなっているようだった。
そしてトイレのある部屋から、
うんぎゃ〜、という声が聞こえたと思ったら、
早々とコチカは戻ってきた。
時間をおいて、もう一度トライしたが、
ちょっと出しただけで、嫌がった。
お腹に触っただけで嫌がるのだという。
さあ、まいった。
こういうことがあると、コチカは自分で排尿できないだけに、
人間は困ってしまう。
尿路結石かなあ。
それともなにか精神的にレジストしたい気分なのか。
前にも一度そんなことがあったようにも思うが、
滅多にないことなので、余程のことかも、と二人で考え込んだ。
空気がずーんと重くなってくる。
思えば最近コチカの様子がなんか変なのだ。
妙に人間を伺っているというか、
例えば、
こちらを見ているので、ねずみかな、と思っていると、
何も言わずにとぼとぼと籐椅子に戻って行ったりする。
私が目くばせしたりして、その気を見せると、
しよ〜しよ〜、と言ってくるのだが、
自分からは積極的には言ってこない。
人間がそうしちゃったかな。。
意思表示がちゃんとできず、
悶々としてしまうような居心地の悪さを感じさせているのだろうか。
窓辺に行ってくんくんし、戻ってきてまた行って、
というのを繰り返しているから、ああ、外へ行きたいんだな、
と思ったタイミングで、
外に行きたい〜、というが、もちろん出してやれないし。
なんかしようとすると、過剰にかわいい!と思ってしまう人間が、
すぐにカメラを構えるし。
思い当たるそんなこんなのせいか、
いらいらしたように手足を舐めることだってある・・
かわいそうに。
誰かに話すこともなく、
一人で全部抱えて処理しているのだろう。
そういうことを以前から多少は感じていたが、
それがマックスに来ているのか。
と人間二人はしばらくぼそぼそ言い合ったが、
何をどう話し合っても、答えが出ず、始まらない。
こういう懸念やネガティヴさが悪い波動を起こし、
次に願ってもない良くないことが起きてくるのである。
ありがとう。
大好きだよ。
ありがとう。だいすきだよ。ありがとう。だいすきだよ。ありがとう。だいすきだよ。ありがとう。だいすきだよ。ありがとう。だいすきだよ。ありがとう。だいすきだよ。
(ご存知ない方へ:クリーニング・ツールホ・オポノポノの一番重要なフレーズです)
まいっさ。
忘れよう。
こういうこともあるさ、生きてるんだもの。
明日、また嫌がるようだったら、病院へ連れて行こう。
ということで、明るくちゃんちゃん!とし、日常に戻った。
* * * *
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5月14日(月)
さて、異例(2度目ではあるが)のオシッコを嫌がった昨日の今朝、
コチカは普通にオシッコをさせた。
オシッコは全部出せた。
やれやれ。。
昨日はいったいどうしてだったのだろうか。
話してくれられたらねえ。
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5月15日(火)
<コチカ、病院へ>
昨日の朝はオシッコさせたが、夜また拒否。
今朝も途中までしかさせなかった。
なので今日はたまたま休みだった夫が病院に連れて行った。
3時からの診察時間に間に合うよう行ったが、
人気のある病院なのですでに満員。
でもオシッコが出せない、と受付で書いたら、
緊急の患者さん、ということで先にさせていただいた。
膀胱炎か尿路結石か、それとも馬尾症候群の腰が痛むのか、
わからないので、とりあえず尿検査をしようとしたが、
思いがけず午前中にちゃんと出せたのか、
オシッコがあまり溜まっておらず、検査不能。
ということで、傷みがあるのならかわいそうだし、
オシッコさせられないのは困るので、
速攻で効くように、抗生剤とステロイド剤の両方を注射。
家では薬を飲むように言われ、
週末に尿のサンプルを取ってくるようにとキットの容器を渡された。
家に帰ってきたコチカは、
うにゃ〜、と私に走り寄ってきて、
あっぁ〜、あっぁ〜、とよくしゃべった。
なんだかハイである。
膝に飛び乗りしばらくよしよし。
それでもまだなんか言い続けるので、ご飯?と聞いてみたら、
うれしそうにすりすりした。
まだ3時半過ぎなのだけど、じゃあご飯にしようか、と用意したが、
食べに行かず。
まだ何か言ってくる。
お外?と聞くと、目を輝かせて、にゃあ!
外は行かないよ、というと、ちぇっ、というように目を閉じた。
コチカがハイだったのは、久々に外の匂いを嗅いだからかもしれない。
ずっと嗅ぎたい嗅ぎたいと思っていた外の空気を嗅げたのだ。
すっごく嬉しかったに違いない。
ついかわいそうになり、首筋を撫ぜながら、
ね、外行きたいよね、前の家は良かったね、お散歩楽しかったもんね、私も戻りたいよ、
などと昔を思い出し、つぶやいた。
なんかとても悲しい。。
なんとかベランダにでも出してやれないものか。
ずっと人間の言うことを聞いて、家の中でお利口さんしていることが、
加齢とともに肉体に及んでこないとも限らない。
再度真剣に考えなければ。。
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5月16日(水)
<コチカの思惑・・花たちへの嫉妬?仮定の仮定の話>
昨日の夜、今朝はすんなりオシッコさせた。
(コチカの話は、ひとたびオシッコ問題が上がると、しばらくそれが続く。昔もこんなことがあった。1回ウ○チとなると、しばらくウ○チである。すいませんねビローな話で^^;)
そして薬を飲ませた。
薬を飲ませるのは夫である。
錠剤が2個。
無駄なく負担なく飲ませるよう、昨日のうちからシュミレーションをしていたようだ。
2個目は後で吐きだしてしまったが、再度なんとかねじ込めた。
明日はうまくいくだろう。
今日一日、私はソファにいたが、
籐椅子のコチカと何度も目が合い、
その都度、コチカはあッァー、という。
私が行って撫ぜてやるまで言っているか、コチカがこっちへ来るか。
なんだろうこれは???
いつもそれぞれがそれぞれしていて、
決まった時間にしか、顔も合わさないのに。
こんなにべたべた甘えてくるなんて、滅多にないこと。
ちょっと思い当たるのは・・まさかと思うが・・
コチカの要求する「外に行きたい思い」を叶えてあげられない一方で、
ベランダや屋内の花の世話を頻繁にしている。
もしかしてそれに嫉妬しているのではないだろうか。
なんで自分の思いは果たしてくれないのに、花たちにはいいようにしてやるのか、と。
人間は花を、植物として、自分とは肉体的に繋がりのないものとして考えている。
もちろん、エネルギーをもらってハッピーにさせてもらっているので、
ありがとうの気持ちを込めて、接してはいるが、
それだけ、といえばそれだけである。
コチカの感じ方とは、違うのではないか。
ひょっとしてコチカは、動物ならではの感受性で、
生きとし生ける物として、同じ生の方向に向かう生物、
というとらえ方をしているのかもしれない、と思うのだ。
そもそも植物・生物、という差を設けているのか、コチカは。
コチカにしてみると、人間の見方とは違い、
植物のポジティヴな気持ち、ネガティヴな気持ちが見ただけでわかり、
人間が世話をした後は、花たちが嬉しそうにしているように見える・・
なのに自分にはしてほしいことをしてくれない、
と妬んでいるのではないだろうか。
考えすぎかもしれないけれど、とりあえずそうだと仮定してみると、
実際お水を上げたり、枯れそうな葉を取ったり、ほこりを取ったりした後は、
花たちがほっとしたように、にっこりしているように、見えてくるものだが、
そのような見え方は、そんな気がする、というのではなくて、
植物は本音、感情を実際に表現していて、
それを目の当たりにしているのかもしれない、という気がしてくる。
だったらコチカがやきもちを焼く気持ちがわかってくる、というものである。
だったら、これはゆゆしき問題なのである。
放置しておいてはいけないだろう???
でもでも・・本当のところは何も分からない。
ああ、誰か教えて。
コチカの思いはどんななの?
* * * *
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5月19日(土)
膀胱炎の薬のせいか、オシッコの量が多く、
どうやらこれで膀胱炎自体は良くなったようだ。
しかし大きな問題がどっかりと残っている。
外に出たがるコチカをどのように出してやれるか。
答えがでないまま、どうすればどうすれば、
という言葉ばかりが頭をぐるぐる廻っているところ、
北海道のにゃんだふる☆でいずのhanatoqooさんからメッシュサークルをご紹介いただいた。
(向こうは今ごろ、桜です。長い冬なのですね、本当に。。)
面白いものがあるもの。
やはり世の中には、こういうものが必要だと思う人がいるのだ。
3サイズあり、直径約70-110cmで折り畳み式らしい。
外に置いたら周囲を囲むメッシュの窓から外も見えるし空気の匂いも嗅ぐことができる。
元々犬用らしいが、もちろんネコにも適用できるだろう。
これをベランダに置く。。
夫といろいろシュミレイトしてみたが、結論までは行かなかった。
明日はまた病院である。
オシッコのサンプルを採り、
朝まではそこそこ冷たい玄関を開けた外の窓の下へ(爆)。
そんなもん家の中のどこにも置きたくないもんね。
明日は獣医さんに他にも2、3相談したいことがあるので、
その内容をおさらいした。
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5月20日(日)
<飢えの薦め>
再度病院へ。
サンプルを検査したが、尿路結石は白。
膀胱炎も、かかった形跡がないので、白ではないかと思う。
なので痛かったのは馬尾ではないかと触ってみると、ピクッとしたという。
というわけで、また痛みが復活するといけないので、
ステロイド剤を飲ませて下さい、前の半分にします、
念のために膀胱炎も1週間分出しときます、
とのこと。
朝1回1週間分に袋の中には、小さな半月型の薬が2個ずつ入っている。
ステロイド剤は、人間ほどの副作用がないのだそうだ。
ふーん。
でもオシッコの量が増えたり、食欲が増すことがあります、だって。
だったら副作用がまったくないわけではないのだ。
道理で朝にも午後早い時間にも、ご飯ご飯、というわけだ。
今日も2時半ごろに、ご飯頂戴というので、2粒やった。
朝にもやったので、あげたくないのだけど、
お腹すいた〜と言ってるものを無視できない。
なんとか義理は果たしたつもりでいたら、
3時過ぎにまたご飯〜
そんなに食べたら太るから、といって拒否。
そしたらお皿の前に座り、じーっと見つめていると思ったら、
空のお皿をぺろぺろ舐め出した。
が、がわいぞ〜゛゛゛+o+"""。。
そんなに飢えてるの?
思わず、コチカに近づき頭をよしよししながら、
大丈夫大丈夫食べないと免疫力が活性化して元気になるから。
食べなくたって死なないよ、食べてたら余計病気になるからね。
飢えときな飢えときな・・
と親切なんだか薄情なんだかわからないようなことを一生懸命言ってしまった。
それから私はスイッチが入ったように掃除を始めた。
日曜日に掃除などしないのに。。
なにかいそいそと止まれずに動いて、喉がひどく乾いた。
飢えてる生き物を目にしていると、こんなにもハイになるもの?
だってお皿の前でじっと座ってる動物無視するのってきついものがある。
しかも空腹はよいこと、と思うポジティヴさを失ってはならないのだ。
実際問題、
空腹は身体を助けるのである。
だから飽食という行為は、現代人の身体をむしばむ現実を引き起こしている。
戦時中に飢えをしのいだ若者が大きくなって結婚し子供を生み、
自分の子供にあんな辛い思いはさせない、といっぱい食べさせた。
毎日毎日。
お腹いっぱい食べることは、親たちにとって人生最高の美徳なのだ。
お陰で、子供の世代では成人病と慢性病が蔓延する結果となった。
学者の言うところでは、
生物の歴史が始まって以来、ずっと飢える時代が続き、
現代ほど飢えない時代はなく、
飽食に適応できるような身体の作りになっていないのだと言う。
だから戦後のわずか100年も満たない時間は、
満腹する状態に身体が対応するには短すぎ、
食べ過ぎて腐敗しそうな食物を身体に溜めこんだまま、
アップアップしている、ということらしい。
うーん、まだ戦後は続いているのか。
しかもたくさん食べることはいいこと、と言われて育った脳ミソは、
そう簡単に昨日まで続いた美学を捨てられず、
つい動物にまで適応してしまう。
お陰でやはり少なめの食事で健康を保ってきたペットたちが、
人間と同じような慢性病にかかってしまう。
人間自身も含めて、どうしたってこれは避けなければならない。
人と暮らす動物たちは、自分では選べないのだから。
感情を捨て、動物たちの理想に寄り添わないと。
というわけで、みなさん、飢えましょう!
満腹を避け、少なめの食事を続けることで、心身の快適さを実感すれば、
動物たちとも、その喜びをシェアし合おう、という気持ちになるだろう。
それこそ本物の豊かさというものではないか。
我が同志たちよ、いざ飢えん!
・・ってどうした私よ。。
で、ステロイド剤を飲ませれば食欲が増進するし、
膀胱炎の疑いも少ないとあらば、薬の必要もないので、
また痛みがきたときのために、薬は取っておこうと思う。
すみません・・長くなって。。
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5月21日(月)
<オシッコ騒動、結局はお秘めさま?>
東京でも7時31分から5分くらい、金環日食を見られた。
日食神が恐いので(爆)、何のグッズも用意してなかったが、
起きてみたら結構雲が出ていて、
ならばと見ていたら、
うまい具合にフィルターの役目を果たしてくれ、
金の輪が安全にはっきり見えた。
日食もだけれど、新月の月を見た気がして、ラッキーな気分♪
さてコチカだが、
昨日の夜中くらいからウ○チがじゃんじゃん出てくる。
夜中にも強烈な匂いに2度も起こされて処理したし、
籐椅子で寝ているコチカに目をやると、ブツが目に止まった。
思うに、オシッコさせるときに横腹を触ると痛くて嫌がったのは、
秘めているものが多すぎたからではないか。
夫はわき腹、と言っているが、だったら大腸ではないのか。
そういえば、最近そこらに転がっていることが激減していた。
気づいてはいたが、オシッコの際にはちゃんと出てるというので、
さしておおごとだとも思ってなかった。
これから年を重ねて行くにつれて、内臓の動きも弱まっていくだろうから、
ブツの出方に注意していないといけない。
酵素の入ったサプリメントを飲ませてみようかな。
そしてときどきは絶食させよう。
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5月24日(木)
みなさま、ご心配メイルをありがとうございました。
人間との関係もすこぶる良好で、
コチカはごく当たり前にオシッコをさせ、
以前の普通の元気全開(?)で、ハッピーに暮らしております。
どういうわけか、紐付ネズミ遊びにも拍車がかかりまして、
人間の入浴前のサービスタイムには、大ハッスルしています。
ただ、写真を撮ろうとすると、気分を殺がせしまうので、
最近はカメラを向けることが激減しました。
私としてもつまんないな、というところですが、
コチカの精神と健康に関係してくるので、まあしかたありません。
というわけで、コチカの視線に触れない、こっそり画像を。
結構ぼったりして見えるのネコのお尻周り。
撫ぜ甲斐あるんですよね〜
* * * *
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5月27日(日)
<痛かったのは馬尾?>
調子のすっかり元に戻ったコチカについて夫が言うには、
オシッコをさせる際、左手で腰を支えるが、
長い尻尾を軽く折って指で挟み、尻尾に飛沫が飛ばないようにしていたのだが、
それをやめてみてください、と獣医さんに言われたので、
指では持たずに、トイレの縁ぎりぎりに垂らしてさせているらしい。
それで今、痛みが来ないのでは、という。
もしかしたら、尻尾を押さえていたせいで、
微妙に馬尾に響いていき、それが痛かったのでは、と。
でも今までは一度もそのようなことはなかったのに、というと、
ちょっとずつ痛かったのが、年を重ねるにつれ、
溜まり溜まって、今痛くなったのでは、というのだ。
ふーん。
そうかなあ。
二転三転する憶測≠セが、なんにしてもよくなってよかったよかった。
* * * *
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5月29日(火)
<久々のヒーリング>
最近、膝にやってきたコチカのヒーリングを強化している。
今まではやったりやらなかったりだが、
このところのオシッコ騒動以来、
夫も私も、コチカがやってくると、なんとなく背に手をあてている。
久々のヒーリングの感触に、コチカは、え?という顔をした。
な、なになに、このあったかいのは?というふうに、
手を当てられている背を振り向いて、
なんだ○○(←私)なのか、という顔で私を見たりする。
相当に気持ちがいいらしく、目が半眼になり、
首の力が抜けるのだろうか、若干肩から頭平べったく、長くなったようになる。
うっとりした目のまま顔を回し、気持ちいい〜、と私を見る表情が、
半分あっちにイっちゃったあぶないオヤジみたいで笑える。
初日は少々長めに、後頭部と骨盤のあたりに手を置いていたが、
毎日のことだし、身体が小さいので、ほんの3分くらいでいいのだ。
面白いことに、人間みたいに漫然と受けていることはなく、
ある程度の時間が経つと、もうやめてくれー、という目をする。
必要以上のエネルギーは受け取らない、ということか。
そういえば、日食の際に出現するという"日食神"は、
人間がとりすぎたエネルギーを吸い出し、自然界に還元するのだそうだ。
人間はそんなにもエネルギーをとりすぎているのか。
得るだけじゃダメなのですね、ちゃんとお返ししないと。
* * * *
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5月31日(木)
このところ4日連続で吐いている。
またこういう季節。
ほとんど吐かないネコもいるのに、
コチカはよく吐く方だろう。
あー早く秋になれ〜
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