2003年8月

~~~ミルク色のコチカ~~~


番外:捨てられていた子猫

誰かになって戻っておいで!

2003年8月の奮闘記へ

もしも子猫を拾ってしまったら、

汚いからといってお風呂に入れてはいけない。
水に濡れる恐怖のために、体力を消耗し、
その後の体温の低下が決定的な命取りになるようです。

なので、とりあえず、隔離して、温かいものを飲ませ、
飲んだらば希望があるので、なりゆきを見守り、時間が許せばお医者さんに連れて行く、のがベストのようです。

* * *

8月3日(日)

梅雨明け宣言があってすぐの東京は結構な暑さにみまわれた.。その午後2時ごろ。
生後1ヶ月くらいの小さな黄色いトラ猫が、隣の家の生垣の下で虫の息で横たわっていた。
目やにで目がふさがり、鼻も鼻水でかたまっていた。
お水を口元に垂らしてやったら、元気にぴちゃぴちゃやり、起き上がった。
水分が体に浸透し、息の苦しさにも気がついた、といった感じ。
2、3回、くしゃみをした。
膿みたいな鼻水が飛び散る。

よたよた歩き、向かいの…チェリーんちの方に行った。
陰を探しているのだが、見つからない。
チェリーの奥さんに相談しようとしたが、お留守のようだった。
抱き上げたら、大きな声でにゃーにゃー鳴き、必死になってもがく。
これならまだ生きられるだろう、ということで、家に連れて帰り、
ノミがたくさんいたので、お風呂に入れた。
まず、それがいけなかったらしい。
恐怖のあまりに鳴き叫び、もがいた。
コチカの例があるので、こんなものだと思い、なるべくさっさとやり、タオルにあげた。
タオルである程度の水気をとると、子猫は横になってしまった。
小さなお皿に入れた水を差し出しても、飲もうとしない。
コチカが見に来た。
恐る恐る臭いを嗅ぎに近づいてくる。
しかし、5cmくらい鼻先にせまったところで、嗅ぐのをやめた。
コチカを近寄らせないつもりもあって、
普段はあまり行かない部屋に、コチカのケージをセッティングし、
トレイの中に寝かせた。
部屋が暑いので、クーラーを弱めに入れた。
これもまたいけなかったらしい。
体温を奪う結果となってしまった。
しばらく休ませようと、人間は部屋を出た。
30分もたった頃、見に行くと、背をそらせ喘いでいる。
口は開いたままでいる。
苦しそうに見えたので、一旦抱き上げ、首を元に戻させた。
子猫は、鳴き声を上げ、もがくようにした。
これもまたいけなかった。
呼吸が苦しいので、喉を開けていたのに、私はそれを阻止してしまったのだ。
また30分後、触ってみたら、体が温かくなくなっている。
大量にウンチをしている。そのせいか、寝返りをうったのか、さっきと違う方向を向いている。
ウンチはかなり黒い。

ときどき溜めていた息を思い切り吐くような動作をする。ため息ではない。
心配になり、チェリーの奥さんを呼んで、トレーごと連れていって、見てもらった。
瀕死の様子を見て、もうだめだと思うけれど、
体を温め、暖めた牛乳を飲ませてみて、飲んだら大丈夫かもしれない、と言われた。
そういう話をしている間に、また声をあげながら大きく息を吐いた。
では、今すぐやってみます、と中に入って、もう一度見てみると、もう心臓の鼓動が止まっていた。
奥さんと話しているときに吐いたあの息が、最後だったのかもしれない。
こうして子猫は数時間のうちに死んでしまった。

息がなくなってから、なんとか体温が戻らないかとわずかに期待し、手をやっていたけれど、
無理なことはうすうすわかっている。というより、はっきりしている。
それにしても、黄色の縞のある毛並みは柔らかく長く、きれいだ。
いったい、いつ、どのように、どうして、捨てられたのだろう。
子猫の柔らかな毛並みの感触がまだ手に残り、残像のように、そこらに見えてくる。
お風呂に入れているときに、噛まれた小指の2箇所の傷口が痛む。

夕方になって見てみると、大量のおしっこが出ている。
下に置いてあったティッシュはわずかに黄色いが、ほとんど臭いがしない。

暑い日中に横たわっている子猫に気がつかないでいたら、もう数時間でだめだったろう。
しかし、私に見つけられたのだ。
しかし、そのまた私も、無知から、よくない方向へよくない方向へと持っていってしまった。
今日が平日で、すぐにお医者さんに連れていったら、元気になったのだろうか。
砂糖を混ぜたお水でも飲ませて放っておけば、よくなったような気もする。
コチカのときと同じように、飼うわけにはいかないけれど、今助けたら、その後、なんとかなる、
と思ったのだが、甘かったのだろうか。
お風呂に入れたことで、恐怖にさらし、ストレスをかけ、余計に体力を消耗させたのだろう、と思う。
その後、寒い思いをさせなければ。

* * *

いろいろ悔やまれ、反省もするのだけど、思い出そうとするそばから、記憶がするりと逃げて行ってしまう。
もちろんいろんな場面は思い出せるのだが、なんというか、その場面のいちいちが、
モザイクだったり半分千切れた写真のように、確固とした形をとらないのだ。

隣の奥さんも慰めてくれたけれど、「仕方がないこと」だったのかもしれない。
運命には逆らえないということ。
あの子猫も生まれる前は、別の生き物から抜け出した魂だった。
その魂の意思だったのかどうか、ちょっとの間だけ黄色い子猫に宿り、
またすぐにどこかに行ってしまった、とも考えることはできる。
その理由が何なのか、あるのかどうかもわからないが。

私がこの経験から何かを得ることができたのだったら、
全ては神様の采配なのだろう。
だったら私はそれをありがたく受け取るしかない。

* * *

1年たって思うこと。
 宇宙にいて、宇宙の一部である自分は、空間を通じてさまざまな事象と影響しあって生きている。自分は孤立した、まわりあるすべてのものから切り離された存在ではなく、人を含むすべての生き物、テーブル、電気などの無呼吸な物体とも影響しあって生きている。個々の生体や物体にこだまし合うようにエネルギーのやり取りがあり、空間を通うエネルギーは風景や物に自分を映し出す。少なくとも気にかかる存在、目に見えるわかりやすい存在には自分が投影されているのだと考えると、子猫の死は、あるいは私自身のある部分が死んだのだ、ということもできる。
 私の中のある部分が死んだ、と考えてみる。
 確かに去年までの自分とは考え方がかなり変わった。数年来、私はこんな人、私らしさとはこんな、私の人生はこんな風、と思っていたことが、そうでなくなった。あの日まで、これが自分の考え方だと思っていたことがらを、切り捨てた。
 私は変わった。
 私の中の子猫が死んだのだ。実際の子猫を死なせてしまったことで、そう思ったのだろうか。果たしてそうか。
 思えば子猫に象徴される何か、路頭に迷い、保護を求めた子猫、しかし本物の子猫ではない、偽子猫と呼べる存在を私は何匹か拾った。偽子猫のいろんな形の、大きさの辛さ、悲しみを得ることで、相当なエネルギーの消失があった。それでも自分のエネルギーの消失とは考えなかった。というよりもそんなことに気がつかなかった。私のエネルギーが偽子猫に渡り、偽子猫が元気になっていくことが私の喜びでもあった。偽子猫が大きくなり、どこかへ旅立っていき、ときどき戻ってきては首を摺り寄せてくることが私は嬉しかった。しかしその嬉しさが、私の中の弱い部分として育っていった。その弱さが私の中の子猫だったのだ。私は子猫かわいさに、寄ってくる偽子猫には進んで手を差し伸べた。エネルギーを消失した。そして疲労を感じていた。それでも無理をし、偽子猫を拾った。そうすることが私だと思っていたから。しかし私は子猫と偽子猫を飼うことで疲れ果て、軸を失いふらふらしていた。
 私の中の子猫はもう死のうとしていたような気がする。だとすると、あの去年の本物の子猫はすぐに死んでしまう運命にあったのだ。あのとき思ったように、砂糖水を飲ませて放っておいても、医者に連れて行って注射を打っても、こうすればよかったのだ、と思うどの方法でも、きっと死んでしまったのだ。私の中の子猫が死んだのだからきっとそうに決まっている。
 私はようやく安堵する。
 私があの子猫を殺したわけではない。無知ではあったがそのために死なせてしまったわけではない。死ぬ運命にありながらそれでも生きようと、焼けたアスファルトに日陰を見つけて声を上げていた姿を思い浮かべると涙が溢れる。しかし今やそんな涙など単なる感傷に過ぎないこと私は知っている。
 今、私の中にもう弱々しい子猫の面影はない。宿命だと考えていた部分は死に絶えた。同時に、私に寄ってきた偽子猫は大きく育ち、もう子猫ではない。彼らは元気になって広く大きな世界を求めて旅立っていった。私も同じように彼らに負けないよう光り輝く場所を求めて歩いていく。
 私の旅が始まった。だからもう子猫は拾わない。旅の途中では子猫は世話できない。
 身の周辺に硬いガードを張りめぐらせ、私は子猫を寄せ付けない。寄ってきていたとしてももはや私の視界には入らない。もう子猫には出会わない。私の外でも内でも。